たばてぃのメモ

~何者かになりたくて~

「死」について

お盆は終わりましたが、忘れないように「死」について思うことを記録しておきます。

僕が24歳の頃、大親友を亡くしました。
大親友と思っていたのは、僕だけかもしれませんが。
自殺でした。

亡くなる10日前に僕の家で遊んでました。
とてもとても衝撃でした。

たぶん一生分の涙を流しました。
あんなに泣くことは当分なさそうです。

彼が死を決意した理由も、本当は何を考えていたのかも、僕達にどんなメッセージを残したかったのかも、もうわかりません。
聞けません。
人が死ぬって、そういうことなんです。

彼はいつも言ってました。
自分の人生なんてどうでもいい。
40歳くらいまで生きれればいいと。
実は僕も同感でした。
生きるって大変なんだもん。

彼が亡くなった時、僕は共通の友人からの電話で知りました。全く信じられず二度寝しました。

目を覚ますと、事実である情報がたくさん入ってました。
動揺しました。
理解ができませんでした。
みんな同じだったと思います。

僕は数日、日常生活を送れませんでした。
会社を休み、通常通りの生活をしていると涙が止まらなくなり、
夜も全く眠れず、気付けば朝日が登ってました。

10日前に遊んだ時、大切にできなかったことで自己嫌悪に陥り、自分を責めました。
「死ぬ」ってどんな気持ちなんだろうかと、窓から飛び降りようとしました。
カーテンレールに掛けてたハンガーが頭に落ちてきて、
ビックリして立ち止まりました。
涙が止まりませんでした。

今でも僕は、彼を思い出して涙が溢れることがあります。

彼は亡くなりました。
数日経つと、悲しんでいた友人も通常の生活に戻っているようでした。
僕も1週間ほどで日常生活に戻りました。

僕は思いました。
こんなに大切な人が亡くなっても、人々は1週間もすると日常生活に戻ることができるのかと。

人が死ぬことって、なんなんだろう?
人が1人死のうが世界は回っていて、悲しんでいた人達も1週間もしたら通常モードに戻ることができる。

死んだところで世界になんの影響もない僕達は、なんのために生きてるんだろう?

なんのために一生懸命生きて、ツラい想いをして、出会いと別れを繰り返して、「生」にしがみつくんだろう。
とか考えてました。

その日から「なんの影響もないなら、いつ死んでもいいや」というテンションで生きるようになりました。
今までの視野が嘘のように世界が俯瞰で見えるようになったのを覚えています。

実は今もあんま変わってません。

でも、僕が思うに。
「なんのために生きるんだ?」という選択肢があることが幸せなことなんです。

そんな選択肢がない人が山ほどいる。
テレビのニュースでは、アホみたいな事件で幼児の命が失われています。

選択肢すら無い人もいるんです。

偉そうなことを言うつもりはありませんが、
「全力で生きることができる」という選択肢がある以上、
突っ走るべきだと思うんです。

スローライフとか、ミニマリストとか、よくわかってないので誤解があったら申し訳ありませんが

簡単に手が届く範囲で、自分の幸せだけを掴んで死ぬくらいなら、
俺は今すぐ死にます。

「誰かを幸せにできる選択肢」がある以上、僕はそれをやるべきだと思ってます。

やれてるかやれてないかは置いといて、やらないといけないとは思ってます。

という自戒です。

なんか重いな。

んーーーー、ちんちん